杜若寺について

寺院の歴史

安土桃山時代の初め、杜若(かきつばた)咲き乱れる一公家の庵があり、人々より「杜若庵」と 呼称されていた。
万治3年(1660年)、金色に燦然と輝く丈6尺の本尊阿弥陀如来が安置され、寺院が開基された。
安永5年(1776年)、伊丹「泉川」醸造元大塚新九郎翁が寺院を中心とした一町四方の柿畑を大塚
家累代の供養として寄進した。これを機に当墓地には「酒造王国」伊丹の醸造元や愛酒家達の墓碑
が所狭しと林立するに至った。中でも頼山陽の書になる大塚鳩斎翁の墓碑。俳人梶曲阜(照顔斎)。
徳本行者塔。判官山本三左右衛門塚などは伊丹の文化財である。
期して、庶民から富豪、文人墨客に至る無数の精霊を祀る地になった。

近郷近在最古最大の当墓地では桜町天皇の寛保2年に始まった「1万の灯明」を点灯供養しての
大法要が今も「万灯会大施餓鬼法要」として、脈々と続いている。
現在の本堂は阪神淡路大震災での被災を受け、平成13年(2001年)に再建された。
○大塚鳩斎墓碑(伊丹市指定史跡)
砂岩製で左右に灯籠二基をつけた立派な墓碑があります。鳩斎は酒造家大塚探古の養嗣子で、文政12年(1829)、62歳をもって病を没し、ここに葬られました。墓名を孤子信行が頼山陽に委嘱し、山陽が筆を取ったものです。山陽晩年の作として大変雄渾に書かれており、貴重な史跡。
○梶曲阜
伊丹の俳人。曲阜は、寛政11年(1799)伊丹の酒造家「大和屋」に生まれ、俳諧に勝れ、先輩鬼貫を崇拝して多数の鬼貫句碑を建立しています。明治7年(1874)11月14日75歳で病没しました。

杜若寺の概要

寺院名 吉林山 杜若寺
所在地 〒664-0864 伊丹市東有岡5-127
TEL 072-782-6991
FAX 072-782-9511
寺務受付時間 9:00~17:00(火曜日は寺務受付は休み)
開門・閉門 8:00~18:00
※年中自由にお参りできますが、時間外の墓参をご希望の方はご連絡ください
開基年 万治3年(1660年)
本尊・持仏・寺宝 丈六木造阿弥陀如来座像(万治年)
年間行事 春・秋彼岸入りの日、午前11時より水子施餓鬼会
特別行事 「万灯会」毎年8月19日、夕方5時より施餓鬼会と共に行う

万葉の花杜若衣に摺りつけ丈夫の着襲ひ猟する月は来にけり大伴家持

杜若寺萬灯会
大施餓鬼法要

天正七年、伊丹「有岡城」が織田信長に攻められ落城し、城主荒木村重一族郎党が徹底した残酷な処刑により
670余名が成敗され、杜若寺の地には300余名の婦女子が埋葬されました。 この哀れな霊をなぐさめるため、桜町天皇の寛保二年より墓地に、「一萬の灯明」を点じて供養する法要が行われ、
今日まで“277年”の永きに亘って脈々と続いている伝統ある行事であります。
またこの城攻めに信長はありとあらゆる物を焼き払う焦土戦術の挙に出、特に杜若寺辺り一面広漠たる焼野が原と
化したので後世この寺を焼野(やけの)杜若寺と呼び伝えております。
お盆は仏教の父の日・母の日・祖先の日です。またこの「萬灯会」の縁日には古より「地獄のフタが開き、彷徨える
霊魂が成仏し、施主各家には、この日墓参すれば四万六千日参詣したのと同じ功徳がある」と言い伝えられています。
どうか、「萬灯会大施餓鬼法要」にお申しいただき、共に法要をお勤めください。

日時・場所 : 
毎年8月19日 夕方5時より 杜若寺本堂にて

写真提供 : 大塚家末裔/写真家 大塚 勝久

境内の風景

  • 本尊 阿弥陀如来像

  • 本堂内

  • 鐘楼

  • 山門

  • 墓地内

  • 全景

  • 位牌壇

  • 三重塔

  • 水子地蔵像

  • 観音菩薩像

  • 納骨堂

  • 納骨堂

  • 合祀墓

  • 樹木葬 沈丁花

  • 駐車場